あのちゃんのオーラ

残念ながら私は、あのさんのライブに行ったことがないので、そのオーラを想像することしかできないのですが、

 

田村 淳さんは、初対面で異彩を放っていた。と語っておられますし。

 

出川 哲郎さんは、認識されているだけでうれしくなったとも語っておられます。

 

有名なのは、彼女がアイドルグループに加入する際、他のメンバーは面接や歌唱などの審査があったらしいのですが、彼女だけ何もなく無条件に同意だけを求められたという話です。それだけの何かオーラのようなものがあったということでしょう。

 

私は、大阪にずっと住んでいますので、なかなか芸能人にお会いする機会が少ないのですが、共演したことがあるのが桂 三枝さん(共演といっても、私が楽団員で一緒にステージに上がっただけですが)。面白いといっては失礼ですが、市民ホールのような場所のイベントでさえも、舞台袖でちゃんとステージへの入り方のリハーサルを何度もご自分でされていてそれを見ていると、ああなんと真面目に取り組んでおられるのだろうと、感心したのを覚えています。

他にも、一時期、朝日放送関係の仕事をアルバイトでしていたので芸人さんなどはよくすれ違いましたが、特別なオーラなどというものも感じなかった記憶があります。

もうひとつ、全く負のオーラというか、ラジオなどで聞く声と普段の感じが真逆な人が、上田 彰さんというフリーアナウンサーの方で一緒に食事をご一緒させていただいたことがあるのですが、ボソボソとしゃべる失礼なのですがさえないおじさんという感じなのですが、いったんブースに入り話始めると、爽やかな好青年のような張りのある、明るい声でテンポよく話されて全く別人のような印象を受けたのが衝撃でした。

80年代頃でいうと「カップミュージックスポット」というスポット番組が、FM大阪であったのですが、その年代の方ならご存じかもしれません。

 

当時、音楽はちょうどアナログからデジタルの移行期で、歌謡曲(いまでいうJーPOP)は、45回転のシングル盤の時代です。

ちょうど私が仕事をしている間に、CDへと移り変わっていきました。

余談ばかりなのですが、まだインターネットもなかった時代です。オリコンのチャートが重要な意味を持つ時代でした。

トップ10が非常に重視され、それ用のテレホンサービスがあり、編集する仕事をしていました。

ちょうど、そうですね、B'z全盛期、ほかWinkなどはやってた時ですね。

スタジオで機械的に、編集・アナウンス入れ(駆け出しのアナウンサーなんかがやってました)ネタフリは雑誌などから適当にで、短時間でかたずけるお決まりの仕事という感じですので、どのアーティストにも実は全く興味がなく、本当に機械的にこなすという感じでした。なにか今考えると失礼というかそんな感じでした。

 

それから30年近くを経て、初めて興味を持ったアイドル?アーティスト?があのさんという感じなわけです。