終戦の日にちなんで少し戦争のことなどを書いてみます。
私は、戦後20年以上経ってから生まれましたので、内容は実体験した本人から聞いた内容になります。
終戦間際に釜石にいた父は当時幼少で、そもそも釜石にいたのも祖父が海軍を退役後に製鉄所で働いていたからです。
「釜石で艦砲射撃があり命拾いした」という話を聞かされ具体的な光景を語ってくれました。
聞いた内容によると、米国艦船数隻で
「山側から順に海側に」と艦砲射撃が行われたそうです。
山側(防空壕もあります)にいた人たちは、砲撃から逃れるために、海側に逃げてきたそうです。そこを標的に、米英軍の戦闘機が「機銃掃射」を行い沢山の方が亡くなられたそうです。
つまり、「人をおびき出して戦闘機の機銃掃射で殺ってしまう」というという感じなわけです。
幸いにも、父らは、逆に山の方向に向かって逃げていったため一命をとりとめたそうです。後には、おびただしい数の死体が散乱していて、野積みにして灯油をかけて焼くしかないような(実際にそうしたそうです)状態だったそうです。
かなり昔ですがWikipediaで記述があるか調べて見ました。
当時あったのは、終戦前に「軍事施設の攻撃」があったことのみの記述でした。
全然印象が違うというか、現実と異なると感じました。
これが戦争の真実だなと思いました。
「軍事施設の攻撃=合法的な集団殺人」という感じでしょうか。
そこで、もう10年くらい前ですがWikipediaを編集しました。出典がないため要出典の表示が残っています。
他にも、編集したWikipediaの記事があります。あのさんの来歴についての記述ですが当初はこんな感じでした。
・・・ゆるめるモ!加入以前は周囲とうまく馴染めず、中学校を保健室登校で過ごし、荒れた学生生活を送っていた。高校を入学直後に中退、不登校・引きこもり生活を送っていた。・・・
なんかまるでただの問題児という印象だけだったので、私は、編集を加え
・・・ゆるめるモ!加入以前は周囲とうまく馴染めず、ひどいいじめもあり、中学校を保健室登校で過ごし、荒れた学生生活を送っていた。高校を入学直後に中退、不登校・引きこもり生活を送っていた。・・・
と書き足しました。すると、「荒れた学生生活を送っていた。」の記述は知らぬ間に消えていました。
思いますに、現在進行形の戦争にしても(ましてや過去の戦争においても)、客観的事実を知るのは難しく、現存する人物でもちょっとした言葉で印象がかなり変わってしまう。非常に、曖昧な情報に私たちは囲まれていることを意識する必要があると感じる次第です。